研究紹介シリーズ(第5回)

論理的設計から検証・シミュレーションまでの統合モデリング言語
センサーネットワークモデリング方法論(SenMod)プロジェクト

ワイヤレスセンサーネットワークとは、センサノードと呼ばれる機器(センサー機能、データ処理機能、通信機能などを有する)を広範囲に分散配置し、センサノード間で測定されたデータを無線で通信するネットワークである。もっとも身近なところで実用化されている例では、冷暖房のコントロールを行うビルオートメーションなどがある。

その特徴は、ネットワークを通じてセンサー同士あるいは周辺システムと、収集したデータのやり取りを行う自律分散型無線ネットワーク(無線アドホックネットワーク)である点にある。

人が直接行くことが困難な場所や常駐できない場所にセンサーを設置して、温度や光、音、圧力などをセンシングすることで、現在の状況や状態の変化を遠隔地からでもリアルタイムに把握でき、変化に応じた迅速かつ適切な対応を取ることができる。また、センシングしたデータを蓄積しておくことで、状態の解析や分析なども可能となる。そのため、現在、医療・福祉・健康、防犯・セキュリティ、防災、さらには環境問題など幅広い分野での応用に期待が寄せられている。

ワイヤレスセンサーネットワークを利用したシステム構築方法論を確立するために、特に形式手法の応用研究を行っているのが、国立情報学研究所(以下、NII)アーキテクチャ科学研究系の田口研治特任教授である。

広域でオープンな空間への導入が見込まれるワイヤレスセンサーネットワーク

アーキテクチャ科学研究系
田口研治特任教授

例えば、食品工場の製造現場や保管室の温度、湿度を管理したり、河川付近の水位を監視したりと、すでにワイヤレスセンサーネットワークはさまざまな分野で導入が始まっている。しかしながら、現在のところ、ごく限られた狭い空間での導入がほとんどで、より広域でオープンな空間への本格的な導入はまだ始まっていない。

しかし、今後、センサーやバッテリーのさらなる小型・軽量化が進み、無線通信技術の急速な進歩に伴い、広域でオープンな空間への導入が加速していくのは必至である。実際、自然環境の中に数万個のセンサーを設置して、24時間365日、環境の変化をセンシングしたり、宇宙船からセンサーをばら撒いて地球の大気の状態をモニタリングするといったことがすでに考えられている。

しかし、残念ながら、既存のワイヤレスセンサーネットワークを、そのまま広域でオープンな空間に適用することはできない。設置するセンサーの数が既存のものとは比べ物にならないくらい莫大になるからだ。

「ワイヤレスセンサーネットワークシステムは大きく分けて、通信システム、センサーというデバイス、並列分散システムという3つの要素で構成されています。ソフトウェア工学を専門とする私が研究の対象としているのは、3つ目の並列分散システムです。これまで並列分散システムは、数多くの研究者が研究を重ねてきましたが、ワイヤレスセンサーネットワークシステムにおける並列分散システムは、既存のシステムにおけるものとは機能要件がかなり異なります。特に、広域でオープンな空間に導入するワイヤレスセンサーネットワークシステムとなるとなおさらです。しかしながら、こうしたシステムを構築するための方法論や形式手法の研究に本格的に取り組んでいる研究事例はまだほとんどありません」

そこで、田口特任教授は、近い将来を見据えた次世代のワイヤレスセンサーネットワークシステムを構築するためのモデリング方法論と形式手法の研究に取り組み始めている。研究が目指すところは、論理的設計におけるモデリング、検証、そしてシステムのシミュレーションまでを一貫して行うことができる統合的な形式的モデリング言語の開発である。

ワイヤレスセンサーネットワークシステムの統合的な形式的モデリング言語の開発を目指す

そもそもワイヤレスセンサーネットワークは、従来のプロセス代数とは異なり、複数のノードが同時にデータを受理するブロードキャスト通信が基本となっている。ちなみに、プロセス代数とは、従来の並行システムを記述する言語の1つで、1対1の同期通信が基本だ。その一方で、ワイヤレスセンサーネットワークは、例えば、光センサーの設置場所が異なれば受け取る光量が異なるように、ブロードキャスト通信とは違って、同時に異なる値のデータを受け取る可能性がある。特にセンサーを広域でオープンな空間に設置するとなると、工場などの限られた空間とは違って、各センサーが取得するデータの値はそれぞれが大きな意味を持つようになる。こうしたデータ群を非同期で処理する技術が必要となるわけである。

田口特任教授はワイヤレスセンサーネットワークシステムを構築する際の主な考慮点、課題として、次の5点を挙げる。

「1点目は、無線通信であり、しかもセンサーは相当厳しい環境に置かれる可能性があることから、センサーを介して取得したデータがセンサー間で送受信される間にロスしてしまう可能性が非常に高いということ。2点目は、複数あるセンサーから送信されるデータは非同期通信であるということ。3点目は、センサーのバッテリー寿命への対応。4点目は、最適な情報伝達経路を割り出すためのアルゴリズムが、センサー数の増加に伴い非常に複雑になっていくこと。そして5点目は、センサーを含めたシステムのバージョンアップ方法です」

ワイヤレスセンサーネットワークの場合、有線を使って送受信するインターネットとは異なり、通信の途中でデータをロスしてしまう可能性が高く、現時点においては失われたデータを復元することはできない。また、既述のように、各センサーが置かれている環境によって、同じ種類のセンサーであっても受け取るデータの値が異なり、送受信も非同期である。さらに、例えば、短距離無線通信規格1つであるZigBeeのセンサーなどを使った場合、安価で低消費電力というメリットがある一方で、センサー同士あるいは周辺システム同士で通信できる距離が限られてしまう。取得したデータを送信する際には、その都度、最適な経路を割り出す必要があるが、広域でオープンな空間になればなるほど、設置するセンサー数が増え、経路検索のアルゴリズムが複雑になってしまうのだ。

ワイヤレスセンサーネットワークシステムにおける統合モデリング言語の開発を目指しています (田口特任教授)

そのため、田口特任教授はこれらの課題を考慮に入れた統合的な形式的モデリング言語の開発が必要と強調する。

「従来のプロセス代数では、センサーの挙動さえモデル化することができません。そのため、まずは、センサーの挙動に関する記述なども含め、プロセス代数においては表現できないような、様々な機能を記述できる形式仕様記述言語と、それに基づいた検証ツールを開発しようと考えています。具体的には、PAT(Process analysis tool)と呼ばれるプロセス代数の検証ツールをベースに機能を拡張し、ワイヤレスセンサーネットワークシステム用の検証ツールにしようと思っています。また、シミュレーションは、コンピュータに実装する前に、設計したシステムがどのように動作するかを確認するために行うわけですが、既存のシステムでは、設計したシステムをそのまま使ってシミュレーションすることができません。シミュレーションを行うには、データを新たに一から作り直す必要があるのです。そこで、理論的設計から検証、シミュレーションまでを一貫して行えるような統合モデリング言語を開発しようというわけです」

現時点では理論研究の段階だが、田口特任教授は数年後の完成を目指し、シンガポール大学やパリ大学の研究者と共同で統合モデリング言語の研究開発を進めている。

田口研治特任教授より
安心・安全で快適なユビキタス社会を実現するには、ワイヤレスセンサーネットワークシステムの構築が不可欠です。しかしシステム設計の方法論に関する研究は始まったばかり。私は、論理的設計から検証、シミュレーションまで一貫した統合モデリング言語を開発し、それをユビキタス社会における基本的な設計技術として確立させていきたいと思っています。産業界の方々には、1日も早く私が開発した設計技術を使ってミドルウェアのアプリケーションを開発していただけるよう、研究を進めていく所存です。

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